仲間の話 チビ・オ・レ

 私にはとても厳しい両親でした。小さい頃から規則づくめで息苦しさを感じていました。

父親は自分の生まれだとかルーツみたいなものにとてもこだわっていて(武士の生まれだそうです)、どこか時代錯誤な考えを私達娘に押し付ける人でした。「武家の娘らしく生きること」とか父の「尊敬する軍人の話」を食事のたびに延々と聞かされるのは本当に嫌で、苦痛以外の何ものでもありませんでした。その上、少しでも気に入らないことがあるとテーブルを叩いてどなり、急にキレるのです。いつの間にか父の顔色を伺い、ビクビクする子供になっていました。

母は母で私のやる事なす事にとにかく否定的で、口やかましく私に怒ると無視をしました。背中を向けて黙ったままで、いくら謝ってもいくら話しかけても何も言ってくれず、私にはそれが一番応えたし、とても傷付いたのです。父も母も私が普通に話しているのに怒り出し説教が始まる、そういうパターンはいつも一緒でした。次第に本当のことは話さなくなり、沈黙と嘘といい子の仮面で自分を武装するようになりました。

そんな父と母であっても、愛されるために、認めてもらうために、私は色んな事を諦めました。友達と遊ぶ事、映画へ行く事、コンサートへ行く事、友達のお家に何人かで泊まりに行く事…。他の友人の家では許される事が私の家では許されず、悔しくて、悲しくて、恥ずかしくて、次第に私は家出を繰り返すようになりました。会話をして分かり合ったり、私の話を聞いてもらうという試みは、すべてビンタや怒鳴り声で終わり、そのうちそういう事は無駄だと思うようになりました。

 そんな中で、私は薬と出会いました。家の中の居場所の代わりに私が見付けたものだったのです。その頃私の中は両親に対する憎しみと怒りで収拾が付かなくなっていて、自分を傷付ける事で両親を苦しめる事に夢中になりました。わざと危ない事をする、わざとめちゃくちゃな薬の使い方をする、それが全部復讐のように思えたのです。

しばらくは私にとっても家族にとっても、悲しい関わりしかできない時期が続きました。両親は私を押さえ付けて支配しようとする態度を変えず、私はいつまでも子供のままで反抗し続けたのです。それから薬が使えなくなるまで20年の月日が流れ、最後には勘当状態でした。けれど、家に戻ってやり直したいと言う私の頼みを聞いてくれた両親でした。

 ダルクやNAにつながって、自分の底にある傷や穴は両親と深く関係があるとだんだん分かって来て、少しずつ絡まった糸がほぐれるような気持ちになりました。

「両親は私の欲しかった形で愛情はくれなかったけれど、それでも私のことを愛していて、良かれと思ってした事なんだ」と仲間に言われた時は、どこかで固まっていた怒りが少しとけていく様な気持ちを初めて感じました。ミーティングでは、やはり家族との昔、今が本当によく話されます。仲間の話を聞き、私も話している内に、時間をかけて少しずつ私にも私なりの新しい関わりを結んでいけるかもしれない、と希望を持ちました。

何となく変わって来たなぁ、温かい感じでいいなぁ~、と思っていると、保証人(家を借りる時)をズバッと断って来て、「何かあった時、降りかかるのが嫌だから」と言われた時は、怒りで頭が真っ白になりましたが、仲間に「チビ・オ・レが期待し過ぎだ」と諌められました。だけど、信じてくれないんだと、とてもがっかりして落ち込みました。あの頃は1つ1つ積み重ねることがもどかしく、早く早くと焦っていて、めちゃくちゃしていた20年の事は都合良く忘れ、「立ち直るって言ってるんだから、何でも協力しろ~っ」と、本気で思っていました。

 今は熊本と実家は距離があり、淋しい時もあるけれど楽にはなりました。電話もよく掛けるし、今まではすぐ母親に代わってもらっていたのが、父とも色々な話を少しできるようになりました。母も少し前までは私が弱音を吐くと、「情けない!だいたい何でそんなことになったと思ってんの、あんたはだらしないから…、そんなことやから○○さん(私のパートナー)に嫌われるんよ」などと急に怒り出し、怒った私も電話をガンッと切ることが多かったのですが、今はゆっくり話を聞いてくれるようになりました。

ふと気が付くとやっぱり両親はとても大切な存在になっていました。本当はずーっとそうしたかったんだ、と思います。

〒862-0971 熊本県熊本市 大江2-14-14 1F 096-202-4699 電話対応月-金 10:00 - 18:00 ※予定により不在の場合がございます