仲間の話 AC:シュガー

 私は「今」救われています

子供の頃から「結果」だけを親から求められていたような気がしていた。勉強であれ、運動会の順位であれ同じであり、結果への嘲笑と叱責がくりかえされた(父:嘲笑、母:叱責&激こう)。

やがて、小学校の高学年になると「結果」は、勉強の成績の事だけになった。毎朝5時半から、進学塾が用意した問題集を解き、間違った数だけ、1メートルの竹の物差しで背中を打たれた。鞭のような痛みはなかなか腕立て伏せや腹筋では対応できないものだった。叩きながら、母親は「世間」や「世の中」という言葉を叫び 時には興奮して涙を流していた。(よくこの話をすると、「一生懸命育ててもらったんだね」と、喧嘩を売っているとしか思えない言葉をいただくが、無視するくらいの事は出来る程度の大人には 子供の時からなっていたと思う。)

 毎日、親への復讐と中学入試の前に起こった金属バット事件を自らの手で再現するファンタジーを大切にして生きられるくらいは、「心の健康」を守っていた私でしたが、なかなか自分の事を価値ある人間であるとか、本当の自分の気持ちなどを打ち明ける事が出来るところまでは健康では無く、見事にグレた幼馴染とツルんで過ごしていました。

なぜだか分りませんが、親や教師(「世間」や「世の中」)がダメだしをする友人ほど大切な仲間であったことは間違いありませんでした。

やがて、私も高校中退し家を出て、名実ともに貧乏な低学歴の青少年となった後も仲間だけが心の支えでした。しかし、自分の仲間への期待や 仲間からの自分への要求が行き違い、喧嘩と別れをエンドレスドラマの様に繰り返すようになっていき、全ての事からこころを閉ざしたくなりながらも淋しさを異様に恐れる生活に疲れ果てていきました。

 そして、次第に行き詰っていき、大嫌いな親元でニ‐トな(こんな言葉はなかったが)生活の最中にアダルトチルドレン(AC)についての文献に出会いとりあえずの人生の再建のきっかけにはなりました。しかし、熊本には自助グループもなく、当時の私を見捨てなかった友人たちとの関係性に救われながら、パニック障害やうつ状態での通院を経験しながらも自殺の危機を切り抜け(本当に)、現在はホームレス支援の相談員をしております。

 仕事の上でいつもかんじるのは、問題を抱えたひとが「やり直しが可能」な社会で「失敗から学ぶ」ために、「回復と再起の作戦を立て直すホーム」が、今の社会にはないのではないか ということです。ダルクのミーティングに参加させて頂いて半年以上になりますが、ここにはそれがあります。

初めて出席した日の懐かしい感覚を今でも覚えていますし、今も感じています。一番苦しい時期に探し求めた、友人との関係性が ただ自ら心を開くだけで生まれていくような不思議な安心感がありました。絶望しながらも、八つ当たりしながらも共に歩んでくれた私の大切なほんの数人の友達と同じ関係がそこにはあります。

本名も職業も知らないけれど、その仲間がだれであるのかを絶対に知っている大切な仲間がここにはいました。私は、ミーティングそして仲間に「今」救われています。

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