お知らせ

仲間の話 たまき

正直に生きる

私は、8年程前から摂食障害(過食・嘔吐)があります。私は、4人兄弟の3番目で、家では祖父母によく甘えていました。幼いころから人見知りで、友達も少ない方でしたが、中学・高校時代は陸上部に入り、部活の友人にも恵まれたおかげでなんとか過ごすことができました。

高校を卒業後は、県外の看護大学へ進学し、一人暮らしを始めました。一人暮らしの不安は大きかったですがアパートの近かった子と仲良くなり、一緒に授業を受けたり、大学ではほとんど一緒にいました。優しい友達に恵まれていたのですが、私は何か困ったことがあっても友達や家族に相談することが出来ませんでした。

いい恰好しいで頑固なところがあり、相談するのは、弱いこと、未熟なことと思っていました。不安なこと辛いことがあっても、それを感じている自分も無視していました。失敗が怖く、自分の理想とするいい人でいたくて無理をしていたと思います。その一方で、周りの友達を見回すとみんなが楽しそうでキラキラして見えて、劣等感もありました。体型も太っていて、ありのままの自分では他人に受け入れられない、と思い込んでイライラしたり、何かもっと頑張らないといけない、と焦っていた時に飲食店でアルバイトを始めました。

そのタイミングでダイエットも始め、アルバイトやダイエットにのめり込んでいきました。痩せれば全てうまくいくような気がしました。

しかし、現実は睡眠不足や昼夜逆転の生活になり、学校を休みがちになりました。アルバイトを頑張っているからいいじゃないか、と自分に都合のいい理由付けをして、心配してくれる友達や先生の言葉にも聞く耳を持たず、そのうちに学校に行くこと、人に会うことが怖くなっていき、ますます現実から逃げました。

アルバイト以外はアパートに籠って、過食と嘔吐を繰り返していました。過食嘔吐が唯一の楽しみで、一番手っ取り早いストレス解消の手段でしたが、食べることのコントロールができず、自分自身が食べ物にコントロールされているような怖さがありました。

その状況を自分で家族に話すことも出来ず、大学の先生から家族に連絡してくださり、熊本の実家に戻り休学することになりました。休学中は、過食を我慢できているときは調子がいいのですが、食べ過ぎてしまうと気分が落ち込んで、イライラを家族にぶつけることがたくさんありました。

その後、復学しましたが、また学校に行かず、過食嘔吐も止まらず、退学して実家に戻りました。将来が見えず自分に何ができるのか何も自信がありませんでしたが、祖父母は何か資格を持っていた方がいい、学校に行ってほしいと言ってくれて、実家から通える福祉の専門学校に入ることが出来ました。専門学校の三年間も、学校を休んで先生や家族、友達に何度も迷惑を掛けました。

三年生の卒業前に、学校の先生の紹介でダルクのミーティングに繋げていただき、参加させてもらうようになりました。人前で自分の話をすることはとても緊張しましたが、自分が嘘をついてしまったことを話した時に、仲間が温かく笑ってくれたことが嬉しかったです。福祉施設に就職後も少しミーティングに参加しましたが、仕事に慣れてきたころミーティングへ行くよりも自分のやりたいことを優先するようになり、二年程離れてしまいました。最近、仕事で自分の失敗を隠したり、嘘をついてしまって後悔したときに、自分はこのままではいけないと思い、またミーティングに出て仲間に話したいと思いました。ダルクの方に連絡すると、快く受け入れてくださり、感謝しています。

久しぶりにミーティングに参加した帰り道、過食のための食べ物を買いたいと思わず、家に帰っても過食せずにゆっくり眠ることが出来ました。仲間がいること居場所を感じられることがとてもありがたいです。これからミーティングに参加し続けて、嘘をつかず正直に生きることを意識していきたいです。

ミー

手から放す

2013年の秋、次男の薬物問題が起き突然、平穏だった日常が変わってしまいました。依存症という病気だなんて知る由もなく、「優しくてまじめな息子がなぜ??」私たちの育て方が悪かったのだろうか、私の何がよくなかったのかと自責の念に駆られ、苦悩する日々でした。

次第に壊れてゆく息子の姿に私たちはどうにもならなくなり、恥を忍んで熊本市の家族教室に行きました。そしてそこで熊本ダルクにたどり着きました。

田邊施設長さんから「とにかく家族は勉強してください。お母さんも病気です。」と言われ、なぜ私が病気?と受け入れる事が出来ませんでした。私は共依存という病気になっていることに気付きませんでした。

息子はますます薬物に依存していき、私は息子に依存して問題が大きくなりました。

とうとう、息子は危険ドラッグを使用後、事故を起こし私が最も恐れていた逮捕となり、それを回復のきっかけにしてほしいと願う私たちの気持ちもむなしく、家に帰ってからは自分の問題を否認し、鬱の状態で部屋に引きこもり、先の見えない苦しい日々が続きました。

息子が引きこもっている間も、対応の仕方を学ぶため、気持ちを楽にするために夫婦で熊本県や熊本市の家族教室、ダルクの家族会、医療機関、そしてナラノンに毎週通い続け、先行く仲間と分かち合う事で沢山の経験、力、希望を戴き、学ぶことにエネルギーを注ぎました。

息子にとらわれないように生活を続けていると、次第に夫婦二人で息子を気にしないで外出できるようになっていきました。

2016年4月・・・熊本地震が起き、自宅は半壊となり再建のめどもつかないで私たちが毎日、本当に大変だった時に息子は大麻所持で2度目の逮捕となりました。

リラプスも回復の一過程、とわかっていたものの私は心の中で『降参!』と叫びました。

自然災害に人間が無力であるように、親も息子の薬物問題には無力だと認める事が出来ました。

すぐに田邊施設長さんと恵さんに相談すると「今までと方法を変える事、手を放すチャンスですよ」とアドバイスを頂いたお陰で、留置所等の面会も行かず、手紙の返事も書かず、裁判の情状証人も引受人も断わり、2年前の逮捕の時とは全く違う方法で対応する事が出来ました。

一切世話を焼かなくなり、今までと態度が違う私たちに息子は苛立っていましたが、徐々に彼の気持ちが落ち着いた頃、私から手紙を初めて出しました。

『私たちは何もできないが、回復に対しては支援をしていくという事。息子の人生は息子に任せる、という事。あなたは私たちの大切な宝だから,何処にいても幸せを願っているという事。』

この手紙で息子の問題を息子に返し、私は愛を持って手を放す事がやっとできたのです。

そして、裁判が近づいてきたころ、ダルクで治療することを提案すると、釈放後そのままダルクに入寮することを、息子は自分で決めました。その後、服役中の手紙は、私たちは受け取れない、あなたはダルクにお世話になるのだからダルクに手紙を出しなさいと伝えていたのですが、手紙が自宅に届いたのです。

しかし、もう息子はダルクに委ねましたので、心を鬼にして、読めない理由を一言添え、封を切らず、そのまま息子に送り返しました。

勇気が必要でしたが手を放し続ける事で子供の生き方が変わると確信していたので、できた事だと思います。

現在32歳になった息子は関東のダルクに入寮して4カ月が過ぎました。今息子が同じプログラムを学び互いに回復を目指していることに心から感謝です。

病気の親の手で病気の子供を治療することは不可能です。ダルクという回復支援施設が存在するおかげで回復のレールに乗ることができました。

今から考えると心の痛みは体の痛みより辛く、心が痛ければ同じように痛み止めが必要で

生きづらさを抱えていた息子にとって、心の痛み止めというのは薬物だったのでしょう。

生き延びるために必要だったのかなと、今の私にはわかります。

いくつになっても子ども扱いして、一人の大人として尊重できず息子の自立の邪魔をしていました。

息子は自分の心や体を傷つけることで私たち夫婦に(生き方や考え方を変えて人として成長できる様)ダルクやナラノンという学びの場所を与えてくれたように感じています。

苦しかったあの頃に戻らない為には、完治はしない私の共依存が芽を出さないように、自分自身にだけ目を向け、学び続け、実践して行くことが私の役目だと思っています。息子のことはダルクで使わない生き方を仲間と共に学びとって、今日一日を積み重ねながら、新しい生き方ができますように、と祈ることしかできません。

親子で回復のスタートラインに立てたのは、田邊施設長さんと恵さんが常に寄り添い、時には厳しく的確なアドバイスを、していただいたお陰だと感謝しております。

また公的機関や医療の方々にいつも温かいご支援を戴き、そのおかげで平穏な日常を取り戻すことができ、有難く思っております。

ここに通えば何とかなる、と信じてナラノン、ダルクの家族会、家族教室に通い続けることで、第二の家族とも思える最高の仲間と最強のプログラムに出会い、人生を切り開くことができました。そのおかげで、今では夫婦で旅行したり、止めていた趣味をまた楽しんだり、辛い出来事も笑い飛ばせる自分がいます。

でも、長い旅は始まったばかり。お互い自立して大人同士の関係を作り、家族が再構築できるよう、そして人生で起きるどんなことも楽しめる豊かな心を持ち続けていきたいと思います。

社会で薬物の供給がある以上、末端消費者はなくならず司法で罰して社会から排除、というスタンスがまだ残っているような気がします。

家族がこの問題を経験してみて、当事者も家族も被害者なのでは?と感じるようになりました。

依存は罰するより医療が必要という観点を広めて、支援していただける方が増え続ける事を願ってやみません。

仲間の話 ローズ

熊本ダルクと私

私はギャンブル依存症、そう診断されたのが10年前。過去を振り返ると恥ずかしくなる。自分自身と向き合うことが出来ず只々「飲む・打つ・買う」の毎日。

家庭を持っているにもかかわらず、毎日再発のトライアングルの中で過ごしていた。

毎日の生活の中心がギャンブル。毎月の給料では生活が出来なくなりギャンブルに使うお金をサラ金から借りまくっていた。毎日が嘘の生活。いつしか嘘をついている自分にも気づかなくなっていた。普通は結婚して子供が生まれたりすればそれまでの生活を見直しあらためるのだろうが、僕はギャンブルの方を頑張ってしまうのだ。結婚して幸せにならなければ・・子供が生まれたのでちゃんとしなければ・・ギャンブルをやめて生活の安定をはかるのだろうが何故か仕事ではなくギャンブル、お酒、女性に頑張ってしまうのだ。・・・・まるで子供である。

入院して自助グループにつながって、最初はGA、AA、断酒会と繋がり回復を目指していた。ギャンブルがメインの私はAAに通い自分の飲酒も問題なのだと気づくようになった。ダルクとの出会いは私が回復を目指している中でアディクションフォーラムの打ち合わせで会ったり、各種セミナーでダルクの施設長をお会いする機会が増えるにつれてダルクのミーティングのお誘いを受けていた。ダルクが今の場所に移ってからからお世話になるようになった。初めてダルクミーティングにつながったのは、2011年5月31日で今でも覚えている。何の違和感もなくミーティングに参加できた。参加させてもらっているなかで気づかされるのは、依存症は根っこの部分は一緒なのだと理解できるようになってきた。何度も繰り返す問題の本質が何か、まるで分っていなかった。施設長にお誘いを受けていろいろなセミナーに参加させていただいたおかげで、随分と仲間も増えた。仲間は暖かく受け入れてくれる。ダルク、NAの仲間の方とも会うたびに言葉をかけていただいたり、ハグをしていただいたりと仲間に出会うたびに回復の“力”をいただいている。

熊本ダルクの施設長の田邊さんとの出会いは今では僕の回復には欠かせないリスペクトする一人である。また、多くの事を学ばせていただいている。セミナー、イベント、書籍の紹介、回復につながるあらゆる情報を伝えていただいていて、いつも感心させられる。いつか、田邊さんみたいに必要に応じた支援ができるようになりたいと思っている。

熊本ダルクの仲間の方々にも感謝している。出会いに感謝、これからも、つながり続けて成長し賢くなっていきたい。

仲間の話 サトシ

今は仲間と共に

私は、覚醒剤を、20年間使い続け2度刑務所にお世話になってしまった。ダルクに繋がったのは、2度目の出所時の帰路だった。それが、9カ月前の事である。

1度目の刑期は、3年だった。覚醒剤を使わない受刑生活の中で、自分の人生を考えてみた、このまま、覚醒剤が全ての人生では、終わりたくない。止めて、もう一度自分の家族を持ちたい、と思い覚醒剤を止める事に決めた、しかし、今思い返せば無謀な止め方だった。自分ひとりの力で、強い意志で止めるんだ、と心に強く誓って使ったら死のうとまで思っていた。そんな、気持ちで出所した。

止める為に地元を離れたが、出所から1年後見事にスリップしてしまい、使ったら死のうと思っていた事もあり、使っても楽しめなくなっていた。自分を責めて、死のうとしたが死にきれず、使うたびに指を切り落としたが、それでも、覚醒剤は、止まらなかった。そんな自分を受け入れきれずに、誤魔化す為に、薬の量も増えていき、最後は会話することも出来なくなっていた。スリップして3日目には、精神病院で隔離されていた。

病院まで警察が尿を取りに来たような有様だった。

その時が、底つきの状態だったと思う。

自分の力で覚醒剤を止める事ができなかった。これからの人生の希望が持てなかった。そんな時、留置所まで、ダルクの方が面会に来てくれて、話をしてくれた、また、止めれば?とシンプルな感じで、言ってくれたことやダルクの本を読むうちに、私より、ひどいアディクトが、回復している姿やミーティングに参加し続けていることを知り、また、止めれるかもと、少しずつ、生きる希望が持てるようになってきた。

その後2年の刑を務めている間、覚醒剤を上手く使い続ける方法を考えたり、自分の血管を見ては、ここに針を刺せば一発で入る、など考えてもいた。本当は、上手く使えない事、一度使ってしまえば、逮捕されるまでやめられないし楽しめない事もわかっていた。

出所間近に覚醒剤について、考える時間を刑務所から与えられた。

底つきの時から、何ら成長もしてない、覚醒剤をやめ続ける方法も分からない、止め続ける自信もまったくなく社会に戻ってもどうやって、生きていくかも分からなかった。

ただ、ひとりでは、薬が止められない事を受け入れよう・・・そんな気持ちが2度目の出所だった。

刑務所を出て家に帰る途中ダルクに寄った。

その時、初めて止める事で人に助けを求めた瞬間だった。

何よりも先にダルクに繋がっていないと、覚醒剤を使ってしまいそうだった。

今思えば、もっと早くに繋がっていたら、良かったと思う。

実は、2年半前に、ダルクに行こうとした事がある、その当時は、施設があった、2階の階段下までしか行けなかった。覚醒剤を使かっていた事もあり、階段を見上げて帰る事しか出来なかった。

しかし、今では、欠かさず、ミーティングに参加している。

初めは、ミーティングが何の為になるのか理解出来なかった。今でも面倒だと思う事も沢山ある。覚醒剤を使ってない今の生活は、とても、退屈で、物足りない、しかし、ミーティングでしんどい思いを分かち合える事で、奇跡的に覚醒剤が止まっている。

何とか、今日1日は、クリーンで過ごせている。

薬を、止めている仲間が温かいこともダルクに行って知ったことだ。

ダルクと仲間に今ではとても、感謝している、ありがとう。

仲間の話 AC:シュガー

 私は「今」救われています

子供の頃から「結果」だけを親から求められていたような気がしていた。勉強であれ、運動会の順位であれ同じであり、結果への嘲笑と叱責がくりかえされた(父:嘲笑、母:叱責&激こう)。

やがて、小学校の高学年になると「結果」は、勉強の成績の事だけになった。毎朝5時半から、進学塾が用意した問題集を解き、間違った数だけ、1メートルの竹の物差しで背中を打たれた。鞭のような痛みはなかなか腕立て伏せや腹筋では対応できないものだった。叩きながら、母親は「世間」や「世の中」という言葉を叫び 時には興奮して涙を流していた。(よくこの話をすると、「一生懸命育ててもらったんだね」と、喧嘩を売っているとしか思えない言葉をいただくが、無視するくらいの事は出来る程度の大人には 子供の時からなっていたと思う。)

 毎日、親への復讐と中学入試の前に起こった金属バット事件を自らの手で再現するファンタジーを大切にして生きられるくらいは、「心の健康」を守っていた私でしたが、なかなか自分の事を価値ある人間であるとか、本当の自分の気持ちなどを打ち明ける事が出来るところまでは健康では無く、見事にグレた幼馴染とツルんで過ごしていました。

なぜだか分りませんが、親や教師(「世間」や「世の中」)がダメだしをする友人ほど大切な仲間であったことは間違いありませんでした。

やがて、私も高校中退し家を出て、名実ともに貧乏な低学歴の青少年となった後も仲間だけが心の支えでした。しかし、自分の仲間への期待や 仲間からの自分への要求が行き違い、喧嘩と別れをエンドレスドラマの様に繰り返すようになっていき、全ての事からこころを閉ざしたくなりながらも淋しさを異様に恐れる生活に疲れ果てていきました。

 そして、次第に行き詰っていき、大嫌いな親元でニ‐トな(こんな言葉はなかったが)生活の最中にアダルトチルドレン(AC)についての文献に出会いとりあえずの人生の再建のきっかけにはなりました。しかし、熊本には自助グループもなく、当時の私を見捨てなかった友人たちとの関係性に救われながら、パニック障害やうつ状態での通院を経験しながらも自殺の危機を切り抜け(本当に)、現在はホームレス支援の相談員をしております。

 仕事の上でいつもかんじるのは、問題を抱えたひとが「やり直しが可能」な社会で「失敗から学ぶ」ために、「回復と再起の作戦を立て直すホーム」が、今の社会にはないのではないか ということです。ダルクのミーティングに参加させて頂いて半年以上になりますが、ここにはそれがあります。

初めて出席した日の懐かしい感覚を今でも覚えていますし、今も感じています。一番苦しい時期に探し求めた、友人との関係性が ただ自ら心を開くだけで生まれていくような不思議な安心感がありました。絶望しながらも、八つ当たりしながらも共に歩んでくれた私の大切なほんの数人の友達と同じ関係がそこにはあります。

本名も職業も知らないけれど、その仲間がだれであるのかを絶対に知っている大切な仲間がここにはいました。私は、ミーティングそして仲間に「今」救われています。

仲間の話  仁

私の生き方                               

   回復の道を歩き初め、トントン拍子の回復とは行きませんでした。

プログラムに繋がっては、有力の自我の暴走で、自分の考えのままに突っ走って繋がって2度目の懲役を平成22年~24年の間、京都刑務所で、務めました。

心が弱くて、すぐパニックに陥ることも多く、1つの場所で腰を据えて続けることが出来ない人間になっていった様に思います。

30歳からの自分は、繋がってプログラムに任せながらも元気になったらもう一度うまく使うと思って過ごしていた自分は、間違ったプログラムの捉え方で回復のプログラムを真剣に自分の物にすることが出来なかった様に思います。

ですが、32歳のときに親が亡くなり頼って甘えて行けるすべもなくなり、薬の依存症が半端じゃない自分はダルクを出たり入ったりの繰り返しを続け、こわれた頭で必死に変わるきっかけを探していたのでしょう。

仲間から離れたら本当に好きなことしか出来ず、女性とのからみが好きな自分は、スナックなど行って、もともと飲めない酒を飲み始めカラオケなんかを歌い、そんなことを続け良い気になっていた様に思います。

そしてその結果、薬に繋がり今までプログラムで勉強していた自分の問題の解決すら出来なくなり、また有力な自我の暴走から最後の懲役から出てきました。頼るのはダルクしかなく精神的にも不安定な自分はやはり仲間の中へ、24年6月、関東のダルクに行き2年間入寮者、スタッフ研修へと続けました。

でも、ある程度続くと自我の殻に閉じこもり、自分が樂に出来ることしかしなくなって行った様に思います。それでは第3ステップのお任せじゃなくなって来た様に思っていたのです。いきづまりを感じて、そこで変わることに熱を入れるんじゃなく、限界を感じ環境を変えました。

出所後、2年間、無我夢中でやって来た施設の手伝いを手放し、熊本へとやってきました。5月12日です。仲間は受け入れてくれました。大都会のダルクほど人数はいないのですが、それが返って自分の欲しかったプライベートの時間もとれ、現在、自分のペースで歩むことができます。

そして熊本では、代表みずから、12ステップのプログラムの今を大切にしています。RD、ステップワークと仲間と共にやることができ、自分のためにより深い部分で、ステップに取り組んでる感じです。長いダルク生活の中で、今が一番自分と向き合えマジでプログラムで樂にいきたいと思い始めてます。ですが、人生不安定の自分なので自我の殻に閉じこもらないよう、もう一歩、前に出て自分を変え続けられる、プログラマーになりたく思っています。なかなか変わる勇気が出ないけど少しずつ少しずつ樂な人生へと変えて行きたく思います。

西川京子

『熊本ダルクの皆様とご家族の皆様』   

 毎回、楽しみに読ませていただいています。感謝です。

 私は、6歳で父を亡くしました。そのころ、叔父(父の弟)はシベリアに抑留されていました。叔父の妻である鶴子叔母(ちなみに叔父の名前は亀雄でした)は、叔父が帰国するまでの間、私の家に同居して、4人の子どもを育てながら家業の材木屋を続けている母を手伝ってくれました。鶴子叔母は熊本の出身で、丸顔の、明るい、良く働く人でした。忙しい母に代わって『家なき子』『母をたずねて3千里』『フランダースの犬』などを読んでもらいました。長い間、鶴子叔母との思い出が私を熊本につないでいました。

 熊本ダルクが開設され、責任者の田邊さんから、お声をかけていただき、うれしく思いました。鶴子叔母へのお返しが何かの形でできればと願いました。

 2005年から、ご家族の方々とグループをしていますが、熊本の女性は、さらっとしていて、しかもエネルギーがあり、素敵です。今後も、お会いできるのを楽しみにしています。

 2006年5月~9月に薬物依存家族グループの参加者を対象に、家族の現状を調査しました。熊本のご家族にもご協力をいただきました。子ども(平均年齢27歳)が薬物問題を持っている母親(平均年齢54.4歳)40名の現状に関する回答の結果をご報告します。

①健康状態

 ①ひどい肩こりや頭痛、夜中に何回か目がさめる:各11名(27.5%)、②胃や腸が痛む:9名(22.5%)、③寝つくのに時間がかかる、早朝に目が覚める:各8名(20%)でした。

②行動面の状態

 ①約束を破っても許してしまう:15名(37.5%)、②かわいそうで金を渡してしまう、薬物問題で私の心身が不調、部屋や持ち物を無断で調べてしまう:各11名(27.5%)、③機嫌を悪くしないように気を使う:10名(25%)でした。

③感情面の状態

 ①薬物を使用していると私の精神状態が悪い:21名(52.5%)、②私の育て方が悪かった:18名(45%)、③電話が鳴ると不安:16名(40%)、④薬物を使う人の行動に一喜一憂する:14名(35%)、⑤事故や病気で死んでくれたらと思うことがある:13名(32.5%)でした。

以上の調査結果は、家族は(1)薬物問題が原因で心身に不調を感じている、(2)親として薬物問題に責任を感じ、自分を責めている、(3)感情的に巻き込まれている、(4)適切な対応がわからないまま対処している、のが現状であることを明らかにしています。

 熊本ダルクの皆様、ご家族はこのようなつらい状態のなかにあったことをご理解ください。また、熊本ダルクのご家族の皆さん、知識と情報を得、適切な対応を学び、余裕を取り戻して生活の充実に努め、薬物問題を持つ人の回復を信じ、願いましょう。

〒862-0971 熊本県熊本市 大江2-14-14 1F 096-202-4699 電話対応月-金 10:00 - 18:00 ※予定により不在の場合がございます